所長のひとりごと

「シンパシー」と「エンパシー」

2021.08.15
所長のひとりごと

 人生2度目の東京オリンピックも閉幕し(私1964年生まれですから1回目の記憶はもちろんありませんが。)コロナウィルスの感染についても意識しだして、そろそろ1年半くらい経ちますが、まだまだゴールが見えないどころか心配なことが増えていっているような気さえしています。

 専門家と呼ばれている人たち、ルールを決める側にいる人たちにはこれまで以上に抜本的且つこれまでとは違った対策もお願いしたいですが、私たちは引き続き基本的な感染防止対策を続けるしかありません。

 

 私たちの法人でも、コロナ禍前に行ってきた行事、目的ごとの集りやレクリエーション等が中止もしくはこれまでとは形を変えて行わざるを得ない状況になってしまっています。「安全」はもとより「安心」を担保する、それらを伝えるというのは難しい時があります。

 

 そんな中で、集まって議論する機会(経験)も少し減ってるような気がします。(これはコロナだけではなく多忙な日常も影響して目の前のことをこなすだけで精いっぱいになっているのも原因かもしれません。それはそれで「仕事の進め方」そのものの本質的なことに切り込んでいかないといけません。)

 

 何かを意思決定する中で全員一致なんてほとんどなく(ない方が健全です!)、意思決定された後も一緒に何かを作り出していくことを思うと、相手を論破するための議論より相手をリスペクトすることも忘れず、意向は汲み取ることが出来なくとも理解や納得してもらい、次にチームとして進んでいくことが重要です。

 

 今読んでいる本「ほくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(著者 ブレディみかこ氏)の中で、エンパシー(empathy)とシンパシー(sympathy)について11才の子供との会話が出てきます。(こういったことを11才で学校で習っているっていうのも驚きです。)

 

 簡単に言いますと、シンパシーは共感や同情、哀れみと言った人が抱く感情ですが、エンパシーは他人の感情や経験などを理解する能力と言ったようなことが書かれています。

 

 そのエンパシーとは何かって試験に出された際に11才の子供が書いた答えが

「自分で誰かの靴を履いてみる」

 (Put yourself in someone’s shoes)※これは英語の定型的表現だそうで、相手の立場や視点で相手が感じるように感じてみるといった意味のようです。

 

 人の靴を直接履くには少しばかり抵抗がある人は、相手に憑依して(のりうつって)理解することをしてみてはいかがでしょうか。

 

 経験上、敵が無駄に多いとしんどいです。(それでも戦わないといけない時もありますが、)それにチームで仕事をする際に非効率になる場合があります。(決して言うべき主張であっても言わないでいた方が無難といった意味ではありません。)

 

 ちなみに「ほくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(著者 ブレディみかこ氏)では他にも考えさせられることがいくつも書かれています。今だからこそおすすめです。

 

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